明智光秀

2016年11月19日
1 : ジャンピングパワーボム(東日本)@\(^o^)/ :2016/11/19(土) 22:14:34.95 ID:glm3Wyyf0.net BE:837857943-PLT(16930) ポイント特典
タレントでラジオDJのクリス・ペプラー(59)が、戦国武将・明智光秀の末裔(まつえい)であることが分かった。光秀の生涯には諸説あるため「調べうる限り」という注釈はつくというが、クリス本人から依頼を受け、TBSのバラエティー番組「7時にあいましょう」(月曜後7・00)が検証、専門家が見解を示した。21日の同番組で放送される。

クリスはドイツ系米国人の父と日本人の母を持つ。幼少期に母方の祖母(故人)から「あなたは明智光秀の末裔なのよ」と聞かされていた。だが、還暦を目前にした今も真偽は分からないままだった。番組はクリスとともに、「明智光秀の末裔」を公言する歴史研究家の明智憲三郎氏の元を訪れた。明智氏が注目したのは、クリスの祖母の「土岐」という名字。土岐家は鎌倉時代から続き、光秀はこの土岐家の血筋であるという。2つの家系を調べていくうちに、クリスと光秀を結びつける重大な手がかりにたどり着き、タレントのDAIGO(38)がその決定的証拠を目撃。詳細は番組内で明かされる。

光秀は400年以上も前の歴史上の人物。詳細な家系図が残されておらず、その生涯にも諸説あり、明智氏も「100%正しいとは言えない」としているが、番組関係者によると、家系図を専門的に研究している「日本家系図学会」も、今回の検証結果を受けて「末裔と言って構わない」とみている。クリスは長年の謎が解け、スッキリした様子だという。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/19/kiji/K20161119013751260.html




転載元スレッド:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1479561274/クリス・ペプラー 明智光秀の末裔だったことが番組内で判明

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2014年08月30日
1 : オリンピック予選スラム(神奈川県)@\(^o^)/ :2014/08/30(土) 22:19:40.63 ID:YPqiLjmg0.net BE:404120227-PLT(13001) ポイント特典

29日放送の「ゴロウ・デラックス」(TBS系)に明智光秀の子孫で作家の明智憲三郎氏が出演し、本能寺の変の「真相」を語った。

この日、ゲストとして出演した明智氏は、もともと三菱電機でシステムエンジニアをしていたが、50年にわたり独自に本能寺の変を調べてきたという。

明智氏は、信長を暗殺したとされる明智光秀の子孫ということで、自分を「明智」と紹介するのも「辛くて辛くてしょうがない時代」を送ったが、光秀が恨みつらみで殺した通説を「本当だろうか」と不思議に思い、真実が知りたい一心で光秀について調べつづけたのだという。

本能寺の変については、光秀が信長の厳しい仕打ちを恨んでいたため、本能寺の警戒が薄かったことにつけ込んで暗殺した、とするのが現在での通説となっている。

しかし、番組では、通説とはまったく異なる明智氏が主張する本能寺の変の「真実」が明智氏の著書「本能寺の変431年目の真実」にもとづいて紹介された。

明智氏の主張では、信長はかねてより徳川家康を危険人物と見なしていた。そして、信長が家康を本能寺におびき寄せてから暗殺するよう、光秀に命じていたのだという。

というのも、本能寺の変の当時、家康は本能寺に向かって上洛している最中であったとの記録が残っており、また、光秀の家臣が記した記録にも本能寺に行くのは家康を討ちに行くのかと思っていたとの記載がある。

しかし、「イエズス会日本年報」には信長が中国を征服するという野望を持っていたとの記録がある。光秀が中国への侵攻を命ぜられれば、最悪の場合、明智一族が滅亡してしまうことも考えられる。明智氏は、光秀は中国行きとなるか、謀反を起こすかのどちらかを選ばざるをえない状況だったと指摘した。

そして、そうした危機を感じた光秀は、信長が家康を討とうとしていることを家康本人に伝え、光秀は家康と信長を暗殺することで協力関係を結んだのではないかと説明した。

またスペインの貿易商人アビラ・ヒロンが記した「日本王国記」に、信長が本能寺での最後の言葉は「わしは自ら死を招いた」と書かれていることも、明智氏の説の正しさを証明しているという。つまり、自ら仕掛けた家康の暗殺計画によって信長自身が暗殺されたということだ。

また、本能寺の変を予想していた秀吉は「中国大返し」で長距離を短時間で移動し、山崎の戦いで光秀を討っている。その後、秀吉は自らの正当性を主張すべく、「光秀が恨んで信長を殺した」と、本能寺の変のわずか4か月後に歴史書を書かせた。秀吉は信長を裏切った光秀を成敗した武将として、権力者の地位に収まったのだ。

これについて、明智氏は「日本中が430年前の秀吉に騙されている」と述べた。

なお、明智氏は10年ほど前から信長の子孫である織田家の人との付き合いがあると語っている。

以下ソース
http://news.livedoor.com/article/detail/9201074/

転載元スレッド:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1409404780/
「本能寺の変」の真相を明智光秀の子孫が激白  「日本中が秀吉に騙されている」

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2013年06月21日
1 : シンガプーラ(秋田県)[sage] :2013/06/21(金) 16:18:59.75 ID:n0D7TpyAP BE:888842737-PLT(12001) ポイント特典
光秀はなぜ、信長に反旗を翻したのか? これについては、日本史における大きな謎の一つとして長らく議論が続いている。さきごろ朝日新聞出版より創刊された「週刊 新発見!日本の歴史」の第1号では、本能寺の変について、最新の学説にもとづいてその真相に迫っている。それによると、光秀が本能寺急襲におよんだその理由としては、以下のようなものがあげられるという。誌面では、それぞれの説の有力度が星の数(最大3つ)で示されていた。

・怨恨説 星2つ
・野望説 星2つ
・悲観説 星1つ
・四国政策説 星3つ
・黒幕説……朝廷説(星1.5つ)、足利義昭説(星1つ)、羽柴秀吉説(星0.5つ)、徳川家康説(星0.5つ)

このうち「怨恨説」は、面罵された、領地替えを命じられたなどの理由で、光秀が信長に恨みを抱いたという、ドラマやマンガなどでもおなじみの説である。だがこれを断定するにはまだ証拠が不十分なのか、星2つにとどまる。星3つをつけたのは「四国政策説」だけだが、この説は一般的にはなじみが薄いかもしれない。私も不勉強にも初めて知った。

信長はもともと、土佐(高知県)の長宗我部氏と友好関係を結び、同氏による四国制圧を容認していた。この関係の媒介役を担っていたのが光秀(とその重臣の斎藤利三)だった。それが1581年から翌年にかけて、信長は友好から対決へと四国政策の方針を転換、それまで長宗我部氏の窓口となっていた光秀はすっかり立場を失ってしまう。このことが彼に信長を討つ決意をさせたというのだ。

もちろん、これによってすべてが説明できるわけではない。光秀はあくまで自らの決意で信長を討ったのか。それとも、四国政策の転換から家臣団のなかで不利な立場となった光秀を、かつての主君ともいうべき足利義昭(室町幕府15代将軍)が、自らを中心に形成した信長包囲網に取りこんで信長殺害をうながしたのか。結論を出すには、さらなる史料の検討が必要のようである。
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20130621/E1371748380301.html

転載元スレッド:http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1371799139/
明智光秀が本能寺に織田信長を攻めた本能寺の変に新説?

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