徳川家康

2017年09月08日
1 : 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします :2017/09/08(金) 03:12:41.962 ID:NkQgGSmd0.net
結局こいつが最強だったな



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雑談 | 歴史│08:23│コメント(21)




2016年09月22日
1 : リバースネックブリーカー(宮城県)@\(^o^)/ :2016/09/22(木) 09:01:09.42 ID:nUm2FM9U0●.net BE:601381941-PLT(13121) ポイント特典
「秀頼に落とされ死んだ」大坂の陣、オランダで新文書

「大坂の陣」(1614〜15年)前後など江戸時代初期の様子が記された文書が、オランダ・ハーグの国立文書館で見つかった。同国ライデン大学と共同調査している国際日本文化研究センター(日文研、京都市)が21日、発表した。既存の文献にない記述もあり、検証が進む可能性もありそうだ。

東インド会社の拠点だった長崎の平戸オランダ商館のオランダ人関係者らが1609〜33年に作成した書簡524点や日記で、幕府高官や日本の商人らから聞き取った情報などを記したという。

夏の陣で大坂城が落城した直後の15年6月11日付の報告には次の記述がある。東インド会社の商務員ワウテルセンが平戸オランダ商館長に宛てたという。「皇帝(徳川家康)、その息子および全軍は、(豊臣)秀頼の城を攻囲するために6月2日に大坂へ出発し、同月3日に到着した。秀頼の数人の大名が赦免が得られると考え、皇帝側に寝返るために城に火をつけたが、彼らは逃げる前に秀頼によって、その場で(城壁から)落とされて死んだ」

同年10月28日付の商館長らによる決議録には、徳川家康に「鉄製セーカー砲1門」「火薬150斤」「霰弾(さんだん)50包」を贈るなどの記述もある。


オランダ東インド会社の商務員ワウテルセンが平戸オランダ商館長に宛てた1615年6月11日付の書簡(オランダ・ハーグの国立文書館所蔵、日文研のフレデリック・クレインス准教授提供)

以降は会員限定
朝日新聞
http://digital.asahi.com/articles/ASJ9N5RT9J9NPTFC01H.html


転載元スレッド:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1474502469/豊臣秀頼、家康に寝返ろうとした大名を城壁から突き落として殺していた  大坂の陣で新文書発見

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2015年09月19日
1 : ハイキック(秋田県)@\(^o^)/[sage] :2015/09/19(土) 20:23:44.63 ID:EWKs70Gj0●.net BE:194767121-PLT(13000) ポイント特典

江戸幕府を開いた徳川家康(1542〜1616)の没後400年を記念し、家康が好んだとされる麦やめざしなどの食材を使った給食が、静岡市内の小中学校で順次、提供されている。

 市立安西小学校では17日、「家康の食事」が提供され、児童たちは意外と質素な普段と違う給食を味わった。

 18〜27日に静岡市で開催される「駿府天下泰平まつり」に合わせ、児童らに静岡ゆかりの家康に食事を通して興味を持ってもらおうと市が企画した。給食は家康が好んで食べた食事を紹介した本を参考に、児童にも食べやすいように調理された。

 17日に安西小学校で提供された献立は、麦入りのご飯、めざしのから揚げ、きゅうりとつぼ漬けのあえ物、根菜をふんだんに使ったみそ汁。デザートには家康が安倍川餅と名付けたとされる、きな粉餅が提供された。同校6年の女子児童(12)は「おいしかったけれど、庶民の食事みたいだった。もっと豪華なものを食べているイメージだった」と驚いていた。

 家康は平均寿命が40歳程度だった時代に、数え年で75歳まで生きた大往生だった。白米よりも硬い麦をよくかんで食べるなど、質素な食事が長生きした一つの要因と考えられている。

 家康の食事は静岡市内の小中学校129校で9月中に提供される。同市清水区の学校では、家康が大漁のイワシを長持ちさせるために作らせたとされる「黒はんぺん」や、家康に献上されたとされる折戸なすも提供される。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20150917-OYT1T50118.html


転載元スレッド:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1442661824/
給食に徳川家康の食事 児童「金持ちなのでもっとリッチな物食ってると思った」

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2014年08月30日
1 : オリンピック予選スラム(神奈川県)@\(^o^)/ :2014/08/30(土) 22:19:40.63 ID:YPqiLjmg0.net BE:404120227-PLT(13001) ポイント特典

29日放送の「ゴロウ・デラックス」(TBS系)に明智光秀の子孫で作家の明智憲三郎氏が出演し、本能寺の変の「真相」を語った。

この日、ゲストとして出演した明智氏は、もともと三菱電機でシステムエンジニアをしていたが、50年にわたり独自に本能寺の変を調べてきたという。

明智氏は、信長を暗殺したとされる明智光秀の子孫ということで、自分を「明智」と紹介するのも「辛くて辛くてしょうがない時代」を送ったが、光秀が恨みつらみで殺した通説を「本当だろうか」と不思議に思い、真実が知りたい一心で光秀について調べつづけたのだという。

本能寺の変については、光秀が信長の厳しい仕打ちを恨んでいたため、本能寺の警戒が薄かったことにつけ込んで暗殺した、とするのが現在での通説となっている。

しかし、番組では、通説とはまったく異なる明智氏が主張する本能寺の変の「真実」が明智氏の著書「本能寺の変431年目の真実」にもとづいて紹介された。

明智氏の主張では、信長はかねてより徳川家康を危険人物と見なしていた。そして、信長が家康を本能寺におびき寄せてから暗殺するよう、光秀に命じていたのだという。

というのも、本能寺の変の当時、家康は本能寺に向かって上洛している最中であったとの記録が残っており、また、光秀の家臣が記した記録にも本能寺に行くのは家康を討ちに行くのかと思っていたとの記載がある。

しかし、「イエズス会日本年報」には信長が中国を征服するという野望を持っていたとの記録がある。光秀が中国への侵攻を命ぜられれば、最悪の場合、明智一族が滅亡してしまうことも考えられる。明智氏は、光秀は中国行きとなるか、謀反を起こすかのどちらかを選ばざるをえない状況だったと指摘した。

そして、そうした危機を感じた光秀は、信長が家康を討とうとしていることを家康本人に伝え、光秀は家康と信長を暗殺することで協力関係を結んだのではないかと説明した。

またスペインの貿易商人アビラ・ヒロンが記した「日本王国記」に、信長が本能寺での最後の言葉は「わしは自ら死を招いた」と書かれていることも、明智氏の説の正しさを証明しているという。つまり、自ら仕掛けた家康の暗殺計画によって信長自身が暗殺されたということだ。

また、本能寺の変を予想していた秀吉は「中国大返し」で長距離を短時間で移動し、山崎の戦いで光秀を討っている。その後、秀吉は自らの正当性を主張すべく、「光秀が恨んで信長を殺した」と、本能寺の変のわずか4か月後に歴史書を書かせた。秀吉は信長を裏切った光秀を成敗した武将として、権力者の地位に収まったのだ。

これについて、明智氏は「日本中が430年前の秀吉に騙されている」と述べた。

なお、明智氏は10年ほど前から信長の子孫である織田家の人との付き合いがあると語っている。

以下ソース
http://news.livedoor.com/article/detail/9201074/

転載元スレッド:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1409404780/
「本能寺の変」の真相を明智光秀の子孫が激白  「日本中が秀吉に騙されている」

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2010年05月14日
1 名前: コバンザメ(西日本) 投稿日:2010/05/13(木) 22:56:30.07 ID:hKNstWIL BE:691935539-PLT(12001) ポイント特典
「中国でブーム!!」家康紹介 国営放送が岡崎で取材

 中国の国営放送・中国中央電視台(CCTV)の人気旅番組「走遍亜洲(アジア探訪)」の撮影クルーが12日、岡崎市を訪れた。中国でブームの江戸幕府初代将軍・徳川家康を取り上げた番組を作るという。

 ディレクターの劉彦臣(リュウヤンチェン)さん(35)によると、中国では日本の戦国時代を題材にしたコンピューターゲームが若者に、山岡荘八の大河小説「徳川家康」が企業経営者らに人気。小さな組織を率いて困難を乗り越え、ライバルたちに打ち勝って天下を統一した手腕と、意志の強さが尊敬を集めている。

 来日した劉さんは「忍耐の末に成功し、優秀な部下に支えられた家康は、三国志の英雄劉備と共通点があって興味深い」。資料や甲冑(かっちゅう)などが豊富な三河武士のやかた家康館(同市康生町)に興味津々で、市職員の解説に聞き入った。

 クルーは、午前中に家康の生誕地岡崎城の天守閣や岡崎公園、午後には将軍家の菩提(ぼだい)寺大樹寺と、家康ゆかりの歴史スポットを取材。家康の食生活や城郭都市岡崎の魅力も探ろうと、八丁味噌(みそ)蔵や和菓子店、旧東海道の「二十七曲り」などにも足を運んだ。

 走遍亜洲は10月のゴールデンタイムに、7日連続の30分番組で、日本の中部地方を紹介する予定。ほかの撮影テーマは長寿、車社会、野猿と温泉などで、各地を巡って5月24日まで撮影する。 (中野祐紀)

http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20100513/CK2010051302000021.html
徳川家康について取材する劉彦臣さん(左から2人目)ら=岡崎市の三河武士のやかた家康館で
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中国 | 歴史│08:48│コメント(74)

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